Time-stamp: "2005-07-31 23:03:11 yoshinov"

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現行民法の問題点(家族法編)

改革者か,傍観者という名の加害者か

私はかねてより,現行の家族法や婚姻制度の改革を主張しています.

すでに多くの方がご存知だと思いますが,家族法の最大の問題点は非嫡出子の取り扱いに見られるような「差別の根源」となっていることにあります.相続での論点については多くの人が指摘しているところですので,ここでは取り上げないこととします(相続での論点というのは,非嫡出子の相続が不平等に制約されているという問題です).

本稿で指摘したいのは,家族法の制度によって,いじめられるなど社会から有形無形の不当な扱いを受けている人が多く存在している,という事実です.この指摘には,非嫡出子(お妾さんの子供)だけでなく片親の子供も含めています.学校や地域社会では「お父さんとお母さんがいる.お父さんが働き,お母さんが家事をする.」ということを前提としていろいろな行事が組まれたりしています.あたかも,それ以外の家族構成は異常なことであるといわんばかりです.いずれも暗黙の内に「普通の家族」を前提としています.そして現行の家族法も,その「普通の家族」を前提として設計されています.そのため,本人にはまったく責任のない理由でさまざまな制度上の不利益を被り,社会的な不利益を甘受しなければならない立場に追いやられています.

人間ですから,xxちゃんは嫌い,というような好き嫌いの感情は止めようがありません.しかし上述の差別は,我々自身が作り出した「法」によって生産される差別なのです.このような現実を知っていながら何もしないでいられる人は,私から言わせれば「傍観者」という名の加害者です.民法が「普通の家族」というモデルをやめれば,このような差別を生まなくてもすむのだ,ということをもっと多くの有権者が認識するべきではないかと思うのです.

物権的家族法から債権的家族法へ

では具体的に家族法をどのように改正するべきでしょうか.上述の差別を慎重に検討すれば,婚姻制度にいきつきます.現行の婚姻制度は,重婚を禁じたり同居義務を課したりといった点で配偶者に排他的な権利を認めます.これはまさに物権的な発想です(物権法とは,所有権など排他的な権利の世界です).すなわち,現行の家族法は「物権的家族法」というべきものなのです.私が主張したいのは,人をモノ扱いしてはいけない!ということに尽きます.

人間はモノじゃない!....金だ.(あくまでも民法的に言えば)

そこで私は「債権的家族法」を提案します.

具体的には,人事登記制度を創設し,あたかも土地に抵当権を設定するのと同様に「だれそれとの子供には扶養義務がありX年まで最低限収入のY%を支出する.」「だれそれとは夫婦関係にある.」「だれそれとは親子関係にある.」「だれそれとは兄弟関係にある.」という公示を完備するのです.そして,現行制度ではあいまいになっている婚姻制度あるいは家族制度の役割(コンセプト)を,「子供に対する養育の責務を明らかにすることと,社会的な(ゆるやかな)セーフティネットとしての親族関係を作ること」に設定しなおして,再編します.

これは家族や夫婦の関係を軽視することを意味するものではありません.むしろ「親族の絆は至高の極みにあり法の及ぶところではないと考えるが故」なのです(最高裁尊属殺違憲判決少数意見に同旨).同居義務などはいうに及ばず,そもそも愛情問題に国家権力ごときが口出しするべきではないのです.民法が関心を持つのは金銭問題だけなのですから,その債権債務関係を公示する制度こそがもっとも求められるものであると指摘したいと思います.

登記をしておけば離婚時や相続時の資産分配割合も法定で設定できます(当然,個別の契約が優先しますが).子供の扶養義務を果たす上で必要な資産の提供割合さえ合意できるなら何番抵当であっても登記記載は可能です.相手の扶養余力を見極めることもできるでしょうから,充分な事前の検討が可能です.債権的家族法の思想に基づけば,たとえば同居義務など現在の学説がうまく説明できていないような論点は最初から存在しえませんし(双方の契約上の問題に過ぎないことになる),もともと「普通の家族」というのがいなくなるわけですから,たとえ片親であってもごく当たり前の風景として社会に認知されることになります.現在では男同士女同士の婚姻は否定されていますが,債権的家族法における家族とは社会の最小単位のセーフティネットなのですから,当然に許されることになります.

一夫一婦制は倫理的か

ときどき,一夫一婦制以外は非倫理的であると主張する人がいます.しかしそれは本当でしょうか.

まず指摘しておきたいのは,文化人類学的には一夫一婦制のほうが最近の話であり,数的にも少数派である,ということです.

我々近代文明は,資本主義社会を支えるために,安定して労働者階級を生産しなければなりませんでした.一夫一婦制の導入はその必然なのです.私たちは小さい頃から「王子様が現れて一生を沿い遂げる」という物語を繰り返し繰り返し読み聞かされてきました.こうして「それが理想の姿だ」と擦り込まれているのです.

宗教については詳細には立ち入りませんが,イスラムもモルモンも神道も一夫一婦制を倫理的に正しいものとは言っていません.その一方でキリスト教は労働者階級を供給する上で大きな役割を果たしているのは皆さんもよく御承知のことと思います.

一方,近年の研究で,愛によってドーパミンが出るのは4年間だけであることがわかってきています.現実問題として離婚は当たり前の状況になって久しいですし,子供がいても孫がいても再婚する,という話はいまどき不思議なことでもなんでもありません.思い出せますか?ついこの間までは「孫がいるのに再婚する?とんでもない!恥ずかしいからやめてくれ」などという声が平然と聞こえていたのです.すでに多くの人は忘れているのではないでしょうか.

生物学的にも社会学的にも宗教的にも,一夫一婦制が唯一無二の理想であるという証拠は見当たりません.我々が単にそのシステムにどっぷりと浸かっていることから,自分たちの方が普通だと信じ込んでしまっているだけではないでしょうか.

現在の倫理が最終的理想的なものであって,それ以外の社会倫理は排斥すべきである,という主張をする人がいたとしたら,もはやそのような了見の人とは議論になりません.少なくとも,ある倫理的価値観に立っている者が他の倫理的価値観を安易に批判するということは適切ではない,ということには留意すべきでしょう.

債権的家族法は女性のためのものである

生命の目的,それは自分のDNAを可能な限り次の世代に残すことにあります.これは「生命のスープ」が地球上に誕生して以来,すべての生命体が行なってきたことです.人間は,DNAを残し,増やしていく上でもっとも効果的なように進化を繰り返して現在に至っている,DNAキャリアなのです.ですから,自分のDNAを残したいというのは生物学的には宿命づけられた行動原理といえるでしょう.

さて,そのDNAの観点からみてみましょう.女性は自分のDNAを次の世代に残すチャンスは何回かしかないのが普通です.せいぜい,4人か5人を産むのが最高でしょう.だとすれば,その限られたチャンスのなかでもっとも効率良く自分のDNAを残すとしたら,やはり最も気に入ったDNAをもらい受けたいはずですし,そうすべきです.自分の選択を信じるしかありませんし,自分の選択を信じるべきです.ところが,自分が選んだその相手がすでに結婚していたらどうでしょう.単に役所に届出をしていたというだけであきらめなければならないのは,自分のDNAを残すという生命体としての目的に照らして,まったく不合理な話です.債権的家族法ならば,お互いの経済力やその他の状況を勘案して,合理的な選択が可能になります.ただし,相手がこっちをみてくれなければDNAをもらうことはできないわけですが....それは法律とは別の話ですので,お間違いなきよう.

別の観点からもみてみましょう.生命体はみんながみんな同じDNAというわけではなく,それぞれに個性があります.そのため,地球環境が劇的に変わった時にも人類絶滅の確率を低くすることができる,と考えられています.つまり「多様性」は次世代に自分のDNAを残す上でのキーワードなのです.ところが現行制度では,一度相手を選んでしまうと,その同じ男から同じDNAしかもらえません.単一のDNAでは環境変化に対応できず全滅してしまう危険があります.それより多様性こそが望ましいわけです.最初は筋肉質の相手,次は勉強ができる人,次は音楽的才能のある人..のように自分の子供の遺伝子もリスク分散したほうが次の世代またその次の世代と生き残るチャンスが増えるかもしれません.このような選択の自由が女性にあってしかるべきなのです.

誤解のないように補足しておきます.債権的家族法があるからといって,一人の相手とだけ結婚していてはイケナイ,ということは全くありません.現在の一夫一婦制でも,独身のままでいる自由があるのと同じことです.

このように債権的家族法は利点がたくさんありますが,なぜ現行民法がそれを採用していないのでしょうか.歴史的な経緯が理由の一つにあります.また複雑な婚姻関係を避けるのは相続などの計算が複雑になることにも一因があります.しかし現代はコンピュータの時代です.アルゴリズムさえ決定していれば,どのような複雑な関係であっても誰もが容易に計算できるのです.

最後に

債権的家族法により高齢化社会の活性化も強く期待できるなど,他にも利点がたくさんあります.

「封建制度は親の敵」とは福澤先生のお言葉です.その封建制度の影響を強く受けていた旧民法の「家制度」.その家制度の名残を色濃く残す現行の家族制度についてはまさに差別の根源であって,21世紀に残された負の遺産といえましょう.福澤先生の教えに触れた者がこれを看過してよいはずがないのであります.


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