(last update : Dec/04)

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成功に「背水の陣」は必須か?

よく,ベンチャービジネスで成功するなら逃げ道があってはいけない,「背水の陣」で自らを追い込んではじめて最後まで頑張れるのだ,という主張が聞かれる.このように信じている人は少なくない.だが,それは本当だろうか.

たしかにベンチャーキャピタルからしてみれば,10の投資先があってそのうち一つでも成功すれば大成功なのだから,どんどん兵隊を追い込んで戦いに参加させたほうが得だということは理解できる.

しかし自分がその部隊を率いる武将の立場だったとしたら,安易に背水の陣をひくようなことはできない.むしろ,絶対不敗の地を選び,常に補給路と退路を確保しつつ戦いに臨む武将でなければならない.そのような「勝てる戦い方」をする武将の下でなければ兵士の士気も充分に上がらない.

背水の陣というのは当時の兵法からしても極めて特殊な戦術であった.いってみれば「普通なら,全滅してしまう陣形」なのである.楚漢争覇の時代を過ぎ,三国志時代に入った時も韓信の例にならって背水の陣を試みて敗れた武将が数多く登場する.

普通なら全滅してしまうような陣形をとるのは,その陣形にこそ意味があるときだけである.退路を確保するのは兵法としては当然のことであり,戦いの成功不成功は退路のあるなしではない.あくまで戦略と,それをささえる戦術が重要だ.

特に戦略もなく,安易に背水の陣を敷かないと仕事なんてうまくいかないよ,などという人の意見は聞き流す以外にはない.

「背水の陣」
漢の武将・韓信が趙王歇と戦をまじえたときに,わざと背後に水を控えた陣溝えにし味方を一歩も退けないような絶体絶命の立場において決戦を挑み,見事に敵を破ったという故事から生まれたことば.
韓信(HanXin; ?-前196)
最初項羽の配下となるが遇されず劉邦の配下へ移る.主君である劉邦が連敗なのに対し,不敗の遊軍として活躍,巧みな用兵で項羽を悩ます.ほとんど第三勢力であったが劉邦からは独立できず,天下統一の後は呂后に粛正される.戦術家として「天下無双」と呼ばれた.

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