(Mar/27/00)(Feb/1/01)(Jan/2/02)

このエッセイは,BIT(共立出版)に連載している記事を基に若干の加筆修正したものです.


車イスに乗りたぁい!

ここは某学会の研究会.いま昼休みになったところである.修士学生のR美とK男は,師匠のN博士とともに出席していた.研究会のパンフには,「午後の特集『障碍者・高齢者向けインタフェース』」と書かれていた.

N博士「実はな,わたしは今日の研究会の特集テーマには賛同できない....今日はそれについてお話しよう.」

[車イスに乗ろう!]

N博士「突然だが,私は前々から車イスに乗りたいと思っているんだ.そればかりじゃなく『みんなも車イスに乗ろう!』と主張している.」

R美「それはまたどうして?まだぜんぜん健康じゃないですか.」

N博士「君たちは歩いていて,疲れたりしないかね? 私はまだまだ若いつもりだが,そんなこととは関係なく,立っているより座っているほうが楽だ.そうでなかったら客が全員立ちっぱなしの喫茶店だってあっていいはずだが,やっぱりみんな座ってる.座ってるほうが楽なんだ.車イスなら荷物があってもらくちんに移動できるし.僕は基本的に歩くなんてのはめんどくさいから好きじゃないんだ.」

R美「はは..そりゃ,座ってるほうが楽だってのは反論しませんが.でも,まだ若いし健康なのに,足を使わなかったらよくないですよ?」

N博士「ふふ...この話をどこかですると,たいていの人は「自分の足があるんだから,歩くべきだ.」というようなことを言ってくるね.健康なんだから歩くべきだ,ということなんだね.でも私は,あえてこのようなコメントには反論しよう.『健康なら歩くべき』と考えている人は,車イスに乗っているヤツは健康な我々とは違う人々だ,と考えていることに他ならないからだ.これは差別的な見方じゃないかな?」

R美「差別...っていわれるとよくわかんないですけど....そうなのかしら.」

N博士「例えば,めがねは目が悪い人のための装置だ.でも,目が悪くなくてもかけている人はたくさんいるよね.サングラスとかファッショングラスがあるからね.さて,めがねをかけているということで差別して見る人はいるかな?いないよね.ごく普通の人が,当たり前のこととしてつかっているものを,それをもって差別の理由にすることはほとんどないよ.区別することはあっても,それが理由でお店に入れないとかそういうことはほとんどない.ジェットコースターとかプールとか,なんらかの理由で制限することはあっても,制度上不当な扱いを受けるということはないよね.」

R美「たしかにそうかもしれませんねぇ..そういえば博士はめがねかけてますよね.ほとんど度が入ってないのに」

N博士「まぁ,私の場合はめがねが好きだということが大きいけど,コンタクトレンズができなかったという理由もあるかな.根性なしだから...って,そんなことはどうでもよくて.私は普通の人こそどんどん車イスを楽しんでもらいたいと思っている.普通の人が当たり前のように,ファッションとして車イスに乗るような社会を実現したいからだ.けっして自分が楽したいとか,そういう矮小な話ではないぞ.」

K男「.......」

N博士「デパートの買い物客の50%が車イスに乗ってきたら,車イスで入れないトイレのデパートは多くの人から非難されるようになる.なんだ,このデパートは車イスで買い物もできないのか,という具合にね.デパート側にしたって,わざわざ車イス対策などの費目を作るわけではなくて,ごく当たり前の顧客サービスとして,車イスで入れるトイレを作るってことになる.わずかな段差も,多くの客が自然に発見してどんどん指摘,どんどん解消される方向に進むと期待したい.」

R美「たしかに,現状では段差を指摘しても対応してくれるお店なんて少ないほうよね.」

N博士「そのとおりだ.フロリダのディズニーワールドなんかも,入園者には全員車イスの移動を推奨するべきだと思うね.足が悪いか悪くないかなんて関係ないよ.全員が車イスにするべきなんだ.」

R美「全員...ですか?ははは.」

N博士「そうだ.全員だ.全員が車イスなら,普段から車イスに乗っている人もそうでない人も,そろって楽しめるような場所になる.二人のり,四人のりとかの車イスがあってもいいね.希望者は手動の車イスでもいいし,場合によっては歩行を選択したっていいというようにしてもいいけど,とにかく車イスがデフォルトだな.」

遊園地に来ている老若男女,子供も含めて全員が,とてもコンパクトで機敏に動く,かっこいい(未来の)電動車イスに乗って,列にならんだりみんなでお話しながら移動したり....恋人同士は二人のりの電動車イスに乗っているシーンを想像していただこう.

K男「全員が車イスって,逆転の発想かもしれませんね.」

N博士「これは経済的なメリットもある.例えばおみやげ屋さんはディズニーワールドに来たばっかりだと『荷物になるからあとで買おう』と思って買わないのが普通だよな.でも帰りの時刻になるとおみやげ屋さんは猛烈に混雑する.本人たちも疲れきっていて,結局『もういいや..』ということになってしまう.そんな経験はないかな?でも車イスなら,先に買っても車イスの籠にのせておけば移動は楽々だ.ゆっくりと空いている時間に買い物ができるし,大きなおみやげは荷物になるから..という買い控えも少なくなるだろう?」

K男「たしかにそのとおりだけど..でもディズニーワールドって結構保守的なところがあるからなぁ..」

N博士「車イスの貸し出しとかやってるけど,結局のところ,彼らもビジネスだからね.どこまで真剣に『平等に楽しめること』を考えているのかどうかはわからないし,考えていたとしても,それを実行できるかどうかは,最終的には経営判断だし.ディズニーワールドに限らず,水族園なんかだってそういう試みをやってもいいと思うけどな.こういう試みは,火事や地震のときのシミュレーションをきっちりしておくことにもつながるんだ.現状だと,車イスの団体がきているときに火事があったらどうするか..ってのはほとんどの場所で真剣には議論されていないんだよ.」

R美「なるほど.普段から車イスに対応していれば,緊急時でもちゃんと対応できるようになっていきますよね.」

N博士「多くのユーザがつけば,車イスはどんどん安くなるというメリットも見逃せない.でもそれよりなにより,ファッションとして選べるかっこいい車イスが次々に登場する,ということに大きく期待ができるんだ.みんな,先をあらそってナイキの車イスとかを買うわけだな.2003年限定モデルとか,マイケルジョーダンの使っている車イスと同じモデルとか,そういうのが売れたりするわけだ.」

K男「新しい市場の登場ですよね.スポーツシューズみたいにビンテージものとかでるんだろうか..」

N博士「そうそう,スポーツといえば,パラリンピックというのはどうにも理解できないものの一つだよ.例えば車イスのバスケットボール.あんな激しいスポーツ,どうして普通の大学生とかが参加できないんだ?ああいう道具を使うスポーツなんだから,だれでも参加できるようにするべきだよね.」

K男「あ,それなら車イスのマラソン.あれも過酷なスポーツですよね.どうして障碍者だけしか参加できないのかな.もっと普通のスポーツとして広めるべきですよね.うん.僕もそう思います.」

N博士「まったくだね.ちょっと話がそれちゃったな.さて,私が言いたいのは,車イスが特別な装置ではなく,靴とかスケートボードとかスケーターとかローラーブレードとか,自転車とか三輪車とかとならぶ,すばらしい移動手段であり,遊びであると認識して欲しい.そういう社会になってほしい,ということだ.そうすれば,安くてかっこいい車イスを手にいれて,私も堂々と車イスで買い物ができるようになるはずだ.いまの車イスは重すぎてかっこわるくて,ぜんぜんダメだ.もっとかっこいい車イスでビュンビュン町の中を風を切って走り抜けたいよ. 少なくとも,車イスに乗っているということが普通のこととしてみてもらえる世の中を目指さなきゃだめだ.段差を減らしました..ということで喜んでいる支援団体とか役所とかあるけど,そういう問題は本質的じゃないと思えるぐらいだ.みんなで車イスに乗る!これこそが必要な行動だ.そう信じている.」

R美「...なるほど.わかりました.博士が車イスに乗りたいってこともわかりましたし,多くの人が車イスに乗ることで車イス差別を減らす方向に進むという話もわかりました.でも,それと『障碍者・高齢者向けインタフェース』というテーマに賛同できないっていうこととどう関係するんですか?」

[障碍者・高齢者の証]

N博士「うむ.私が主張したい論点が,実はもう一つあるんだ.それは『バリアフリーと称して開発されるデバイスを持つことが,実は障碍者や高齢者の証明になってしまっていないか?』という点なのだ.車イスも,いつのまにか『車イスに乗っているのは障碍者』ということになっている.点字も音声入力も音声出力も,いくつかの研究会では『障碍者向けインタフェース』としてまとめられているけれど,私は言いたい.『あなたの開発した,そのすばらしいデバイスを,なぜわざわざ障碍者向けなどと限定するのか?』と.」

R美「博士が言われているのは,ユニバーサルデザイン,ということですか?」

N博士「そうかもしれない,と思うんだけどね.実際のところどうなんだろう.ユニバーサルデザインというと,まさに私がいま主張したような趣旨のことかなぁって,普通の人なら思うよね?で,私もそうなのかなと思って調べてみた.Webで検索してみるといっぱいあったけど,ちょっとがっかりした.ユニバーサルデザインのページでは大抵『高齢者向けの...』とか『弱者のための....』ということを堂々とうたっている.少なくとも,ユニバーサルデザインということを理解しているはずの人たちの書いたり言ったりしていることを読むと,それは私の言っていることとはずいぶん哲学的な立脚点は異なるように思うな.もしかしたら,オリジナルのユニバーサルデザインという考え方はは私の主張と同一で,すべてをわかった上でわかりやすい表現を使っているのかもしれない.あるいはエセユニバーサルデザイナーが跋扈しているだけなのかもしれないけれども.そこまではちょっとわからなかった.少なくとも目に見える形としては,哲学はずいぶん違うように思えたな.」

K男「最近,高齢者対応住宅とか,そういう商品がどんどん出てくるようになりましたよね.そういうのにも博士は反対なんですか?」

N博士「もちろん,中身には反対じゃないよ.いまの世の中ではかなり普及が遅れているのだから,どんどん推進するべきだ.でも,誤解を恐れずにいえば,よいことは誰にとってもよいことなんだよね.高齢者対策の住宅だ..という主張も,現時点では大切なんだとは思うけど,ゆくゆくは『あたりまえのこと』として若い人もそういう装備を選択するような世の中になって欲しい..とは思っている.」

R美「とすると,賛同できないっていうわけでもないんですね?」

N博士「もちろんだ.しかし...研究者のセンスとしてはどうかな..って考えてみようか.」

R美「センスですか?」

N博士「そうだ.我々研究者は,5年先,10年先の社会を見ている必要があるはずだ.ここからは私の思い入れが強い予想になるけれども,5年後,10年後には,「高齢者対応」といっただけで『わしゃ普通でいい』というのがトレンドというか,現在の定義でいうところの高齢者の普通の反応になっているのではないかな.誰だって,自分が年寄りだという証拠を進んでは買いたがらない.だから,そういう社会のニーズに備えて『普通であること.普通の選択肢の一つであること』をデフォルトにしておくことが,高齢社会を考えた我々研究者の常識になるべきではないかな.これが私の考え方の基本だ.」

K男「ふむ..自分が65歳ぐらいになったときを想像すると,やっぱり自分が年寄りになったという証拠は見たくないですねぇ.なんだか,杖をついて歩くというのは,できれば避けたいなぁと思っていると思います.高齢者用の○○,とかは買いたくないなぁ.」

N博士「だろう? 我々がつくるデバイスが,すばらしいものであればなおさらのこと,それを『高齢者向け・障碍者用』と命名するのは利用者の選択の幅を狭くしているんじゃないかってところに考えを及ぼしたいものだ.たとえば記憶を助ける『電子メモ帳』を発売するときでも,わざわざ『頭の悪い人のために作りました』とは言わないよね.たとえ想定されるユーザのなかに障碍者がいたとしても,それは単なる一例であって,『このデバイスは普通の人の選択肢の一つですよ』と主張することが,研究者としての優しさではないかなと思うんだ.」

R美「なるほど.それで障碍者・高齢者向けインタフェースっていう命名に賛同できないってことなんですね?」

N博士「そうだ.本当に普通の人が選択肢の一つとして選ぶようなニーズを発見したりアプリケーションを考えることが,研究者の責務ではないかと思うな.障碍に対する差別と闘うのであれば,このことは非常に重要な意味を持つはずだ.」

N博士「誤解の無いように繰り返しておくけど,バリアフリーの考え方はとても重要だったし,バリアフリーが重要だ!という観点自体はこれからも重要でありつづけるだろう.でも,そろそろ何が重要なのかっていうところを一段推し進めて,『選択しやすさ・普及しやすさ』っていうことにも気を配ってもらいたいのだ.そのデバイスを使うことで障碍者や高齢者である『証明』になってしまっては,元も子もない.インタフェース研究のプロなら,世の中に先んじてそういう観点を持ってもいい.私たちは充分,バリアフリーが重要だってことは認識してるんだから.おっと.ただし世の中はまだついてこられないと思うよ.ある人に私の考え方を紹介したら,『N博士,考え方は理解できますが,世の中はそうなってませんよ..』 って言われたよ.」

K男「どういう意味ですか?」

N博士「その人は銀行のATMの機械を作っているメーカーの研究者なんだけどね,銀行とかに置いてあるATMなんかは,まだまだとてつもなく使いにくいレベルにあるのだそうな.それを車イスや弱視者でも使えるようにするためには銀行のコチコチ頭の幹部をなんとか説得しなくちゃならず,一所懸命バリアフリーという考え方が世の中にあるということから説明している毎日らしい.そういう人たちにとっては『障碍者・高齢者向け』というキーワードが世の中にもっともっと溢れて欲しいということのようだ.」

R美「たしかに,それもまた真理ですね..ところで博士,博士は歩くのが面倒だから車イスに..っていってましたよね?」

N博士「ん?そうだよ.歩くの,面倒だもん.」

R美「でも,車イスをこぐのは,けっこう力がいると思いますよ?」

N博士「え?手でこぐ??まさか.当然,電動だよ.きまってるじゃない.電動車イス!あー,安くてかっこよくて軽いヤツが市販されないかなぁ.」

K男「どうも,単に自分が歩きたくないからそんなことを言っているような気がするなぁ...」


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