駆け足! イスラエル!!

基本的に公人(大使クラスを含む)以外はプライバシー保護の観点から頭文字を利用することにしました.



2月14日(日)
エッフェル塔を望む 日本から全日空機でパリへ.はじめてパリにいった.インターコンチネンタルホテル(一泊4万円:自費)で宿泊.写真はホテルの部屋からエッフェル塔を望んだ風景.手前はチュルリ公園.
 
目をすこーし左に転じる.手前はチュルリ公園.光っているのはメリーゴーランド.欧米人は好きなんだよな.これが.たしか.と,向こうの方には...オルセー美術館がっ!! チュルリ公園
 
オルセー美術館 というわけで拡大写真.オルセー美術館は,もともと万博?かなにかのために作られた駅を改造してできたものらしい.行きたかったのに到着したのは日曜日の夕方6時で,7:30からは晩餐会,翌朝は5:00起きというスケジュールのため散歩すらできず.でも,1時間だけ,ルーブル美術館のそばまで散歩した(眠かったのだが..).行っただけだったけど,壮観だったなーあのたてものは.フランス人が天狗になるのもわかるような気がするよ....(・・;)


2月15日(月)
ベングリオン空港(イスラエル国際空港)イスラエル空港.やっと到着だ.テロもなくてよかったよかった.ところで,空港ではパスポートに出入国のスタンプを受ける.イスラエルのスタンプがあると,中近東の他の国では入国拒否されてしまう.(大量のスタンプで,一つぐらいあってもばれなかったぞ..という話は聞いた).そのため,今後中近東の国に行く予定がある人は,入国管理のときに「ノースタンププリーズ...」というと,別の紙にスタンプを押してくれて,その紙は出国の時に回収されるから入国の証拠が残らない,というサービスをやってくれる.(ここらへんはイスラエルの余裕だね.)で,今回の渡航は公用パスポート(公務出張のときに発行されるパスポート)だった.このパスポートは一回で使い切りなので,入国スタンプが押してあっても関係ないということになる.だからスタンプを記念に持って帰るのを楽しみにしていた.ところが!!!現地に着いたら出迎えのエージェントが,我々のパスポートを預かって入国手続きを一括してやってくれた(簡易手続きという,特別な便宜が図られていた)のだが,我々一行のなかに赤パスポート(一般のパスポート)の人がいて,エージェントに「ノースタンププリーズ..」とか言っていた!!がーん..ショック.おかげで入国スタンプなしだった.くそ..とってもがっかりした.が,後日出国の時に「スタンプを押してくれ.記念にしたいんぢゃーー」と出国管理のごついおねえさんに頼んだらちゃんと押してくれた.らっきー.(^O^)
 
 
 
大使公邸での晩餐 ついたその日,夕食&打ち合わせと聞かされていたのだが,バスに乗って日本大使公邸につれていかれる.日本大使公邸にいく機会なんて,めったにないことだからまぁらっきーだったのかもしれん.イスラエルの日本大使公邸は新築されてまだ日が浅いということもあってか,とてもきれいであった.入り口には菊の紋章が...(公邸入り口に入ったところ.中央は佐藤元通産大臣. )
前川大使 晩餐にあたって挨拶する前川大使.
陛下の写真 奥には天皇,皇后両陛下の写真も.
 
 



2月16日,17日,18日は公務..公務レポートを参照してくだされ.. 

18日の夜.ミッション全体のパーティー(IEI主催)
 
 
エラッド公使と.
なんといっても在日イスラエル公使のエラッド氏(写真中央)にはお世話になりました.飛び込みで行ったぼくをイスラエルに呼んでくれたのは,氏と,イスラエル大使館のI商務官のおかげである.ありがとうございました.それから,I商務官を紹介してくれたL嬢にも感謝感激.エラッド氏には,是非将来はイスラエルの首相か大統領になっていただきたいものです.はい.(・_・) 右が同行したN部長.ちなみに彼は通産最大(佐藤元通産大臣調べ)である(笑). 
藤原武平太シャープ専務取締役から激励の握手を受ける.(実は,若手研究者を激励しているような写真を撮らせてくれと頼んだ(笑)).藤原専務は通産の先輩で,元ブルガリア大使.妹(シャープ勤務)はぶへいた君ぶへいた君と大変気に入っている.とても穏和な方でした. 
藤原専務と.
大宮理事を囲んで
通産の先輩といえば,JETROの大宮理事(写真中央)は通産審議官から京都府副知事を歴任した官僚だ.が,とても気さくで元気いっぱいで,知らないで接すると気のいい親分肌のおっちゃんに見える.私の元直属の上司(現電総研次長)とは同期ということで交流があるらしく,ときどき話しかけていただいた.非常に刺激になった人の一人でありました.
最後,ミッションで同行した人が全員でお疲れさま会を.写真は左からI氏,筆者,佐藤団長.ちなみに,会場はテルアビブヒルトン1Fの寿司バー「焼き物」(なんで寿司バーなのに焼き物なんていう名前なんだろ(・_・)).お吸い物はひさびさでおいしかったけど,ちょっと刺身というかネタは....ごにょごにょ.
(左から)団長,筆者,I氏
 


2月19日(Fri) イスラエルは金曜日が日本でいう土曜日にあたる.ほぼ,すべての店がお休みだ.当然,官公庁も.したがって,仕事のしようがない日なのであった.
 
 
シオン門(Zion Gate)を入ったところ. 写真にはありませんが旧市街地を囲む城壁には「黄金門(Golden Gate)」「糞門(Dung Gate)」「ヤッフォ門(Jaffa Gate)」「新門(New Gate)」「ダマスカス門(Damascus Gate)」「ステパノ門(St.Stephen's Gate)」「ヘロデ門(Herod's Gate)」がある.シオン門のところには駐車場があるとのことで,ここから旧市街地内部へ.
ダビデ王の墓ダビデ王の墓,と看板がかかった建物.現在ではここはダビデ王の墓ではないことが知られているが,観光名所として残されているようだ.
最後の晩餐最後の晩餐が開かれた,とされる部屋(コーナキュラム;Coenaculum).ダビデ王の墓とされる建物の裏の階段をあがったところにある.歴史的にいろいろな宗教がこの建物を占領して自らの教会として利用したため,イスラム教徒にとっても神聖な場所になっているらしい.聖書の記述から考えて,この位置にある教会で最後の晩餐を迎えたであろうと想像されるとのこと.ただ,当時の食生活の常識から考えれば,全員が寝そべって食事をとっていたと考えられるそうな.名画の「最後の晩餐」ではイスにすわってたのにねぇ..内部は,がらんとしている.当然のことながら部屋は石づくり.ひんやり,というより寒々しい感じであった(珍しく雨だったからなんだろうけど).普段(特に夏)は暑いとのこと.写真左は現地でガイドをやってくれたN嬢.日本からの留学生.左はN部長.
カルドカルド(太古からの大通り)の跡地.何度も破壊と再建を繰り返している.写真のものは,発掘されて発見されたもの.カルド相当の大通りは現在も商店街となっている.
道シナゴーク(ユダヤ教の教会),モスク(イスラム教の教会),チャーチ(キリスト教の教会)が密集しているこの地域の通路は,こんな感じでした.(全部が全部これ..ってわけじゃないよ)
第5ステージビア・ドロローサ(キリストが十字架につけられて歩かされた道)の第5ステージ.クレネ人のシモンが,イエスに代わり十字架を負わされたところ.時間の関係で,我々はここからドロローサに合流.先に進む.
第6ステージビア・ドロローサ第6ステージ.ここはベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭いてあげたところらしい.このハンカチはイタリアのサン・ピエトロ大聖堂に保存されているが,外伝以外福音書にはこの話の記載はなく,ハンカチのコピーも出回るなど,真偽のほどは確かではないそうだ.でも,今度つくるプロジェクトの名前に第6ステージという名前をつけたかったので記念写真. 
第7ステージ 
ビア・ドロローサ第7ステージ.イエスが二度目につまづいたところ.ここは扉が開いていて,中の祭壇が見えた
十字架がたてられた岩 
キリストが張り付けられた十字架を立てたと言われる岩の,頂上付近が祭壇になっている.この場所がキリスト教にとってもっとも重要とされる場所であり,この場所のために多くの血が流された.十字架を挿したと言われる岩のくぼみをみることができる.ここはビア・ドロローサの第13ステージでもある.
キリストの死体が寝かされた場所キリストが処刑されたあと,この石台に載せられたと伝えられる.ところで..ここは聖地であって,観光地ではない.したがって「ここはホゲホゲのいわれがある場所です..」などの観光案内用の看板や説明文,順路等はいっさいない.これは異常に困ることである.我々のように,べつになんの準備もしないで行ったら,はっきりいってなにがなんだか,なにをみればいいのか,どこにいけばいいのかすらわからなかったであろう..ガイドの資格をもつN嬢が,独断と偏見でつれて回ってくれたおかげである.感謝感謝.(現地には有料ガイドコースが観光客向けに用意されており,そのガイドツアーは至る所にいた.)
シンドラーの墓 
映画「シンドラーのリスト」のラストシーンに出てくる,オスカーシンドラーの墓.映画通り,この墓にだけは大量の石が積んであった.私も積んだ.晩年は恵まれなかったシンドラーの遺体を引き取ったユダヤ政府が埋葬した.シンドラー自身はユダヤ教徒ではなくキリスト教徒であったので,ここはキリスト教徒の墓地である
嘆きの壁1有名な「嘆きの壁」.ええと.なんで嘆きの壁っていうんだっけな.忘れた.(・_・)...男の信者のためのエリアと女の信者のためのエリアが分割されている.男の信者の側には,図書がたくさん置かれている洞窟があり,このような雨のときには信者は室内に行く.だから雨の日は壁面は女の信者ばかりが屋外にいる,ということになるらしい.観光客用の紙製のキッパ(ユダヤ教徒がかぶるカッパの皿のような帽子)が置いてあり,その帽子をかぶれば壁に近づくことが出来る. 
嘆きの壁(ゲート)ユダヤ教の聖地とも言えるこの場所は,厳重に警備されている.この写真は,嘆きの壁を背にして,入り口の付近を撮影した映像.階段上に小屋のようなゲートがあり,そこでセキュリティチェックを受ける.
嘆きの壁3雨の中,嘆きの壁の前で記念撮影.左側が筆者.右側が同行のI氏.二人とも紙製のキッパをかぶっているのでカッパのようになっている.I氏の奥で,壁に手をついている紙製キッパの男がN部長.
首都エルサレムを一望.町は丘の上に広がっており,地獄の谷(だったっけなぁ..)を挟んで反対側の市街地から見た景色は,地元ガイドN嬢のおすすめスポットであった.
吹きすさぶ雨のなか,記念撮影.もう台風のようになっていた.移動はレンタカー.帰るとき,大型の観光バスと行き違う.彼らもこのスポットに来たんだね.(^o^) みる価値あり.説明によれば,夜景もすばらしいとか.
 
 


イスラエルの食事について

残念ながら,今回は地元の料理らしい料理を食べる機会はなかった.毎回,招待されていたのだがたいていはイスラエル風のフランス料理とか,完全なイタリア料理とかだった.一回だけ,カバブをたべた.17NIS(シェケル;約500円).マトンなので,肉だけでたべると若干臭みがあるものの,ソースや野菜類をナンのようなものでくるんで一緒にたべるのでとてもうまい(と感じた).

コーシャと呼ばれる,ユダヤ教の戒律に従った食事はまずいらしい.肉は基本的にひづめが割れていて反芻するものしか食べない.鳥は空を飛ぶものだけ.魚はエラで呼吸して鱗のあるもの,と決まっている.しかもきちんと資格を持った人がお祈りをして殺したものでなければ食べられない.肉はパサパサ,とてもまずいとのことであった.次回行くのが楽しみである(・_・).

物価について

はっきりいって,日本と変わらないとみてよい.ブランドが安いととかいうこともない.ただ,おみやげ物屋さんをはじめとして,お店では基本的に交渉して値段を決める.ここでも現地ガイドN嬢に活躍していただく.感謝感謝.(^o^)

ホテルについて

ホテルも,ビジネスホテルに毛の生えたようなところにとまった.まぁまぁだが,室内に備え付けの時計がなかったので苦労した(筆者は時計を持っていかなかった).モーニングコールは電話でフロントに頼めば済むからよかったんだけど.

実はホテルについては一つ,記録にとどめたい事件があったので,ここに記す.

経済ミッションの一行が泊まったのはテルアビブヒルトンホテル.これは最高級ホテルだ.我々科学技術ミッションの一行は,テルアビブヒルトンの道を挟んで反対側にあるメロディホテルに宿泊した.私は102号室.N部長は201号室,I氏は202号室であった.

私は「そろそろ,風呂にでも入って寝るかーっ」と思って風呂場を見た.と..バスタブに赤錆のようなものが..うげっ..なんじゃこりゃ..と思ってよく見ると,それは泥であった.なんで?何で泥が??と思ったが,シャワーで流してみるとあっさり流れ去った.天井から流れてきたのかともおもったが,たいして天井は汚れているようにもみえないし,少なくとも今はなにも降ってきていない.それにしても,こんな汚いバスタブで客を入れるとは..ゆるせん!!....と思ったのだが,既に現場は流してしまっている.現場が残っていないのに,ホテルにクレームをつける語学力が果たしてあるのか,自分に?と考えること3秒.もう眠かったというのをいいわけに,その日は寝てしまうことにした.風呂は翌朝入ろう(実際,私は朝風呂に入る習慣を持っている).今日はどうも入る気にならない..いきなりこんなことでは,前途多難だなぁと思いつつ,ふて寝状態であった.

翌朝,さっそくシャワーを浴びた.ホテルによっては水圧が足りなかったり,充分な温度がなかったりすることがよくあるのだが,ここは水圧も充分,あついお湯もたっぷりでた.よかったよかった.昨日の泥のことはなにかの間違いだろう.もう私の怒りは静まっていて,永遠に忘れ去られようとしていた...風呂を出るまでは.ホテルのユニットバスは大変狭い.だからタオルはバスタブ上のシャワー口の反対側に設置された棚に置かれていることがある.我がメロディホテルも,タオルはバスタブ上の棚に載せられていた.シャワーを浴びて,さて身体を拭くか...とタオルを手に取ると...ジト〜ッ...ウッ(゜_゜;) こ..これは...泥っ!! すべてのタオルは汚染されていた.ぼとぼとに濡れたタオルを手に,3秒間脳死したのち,見事復帰した私は,冷静さを取り戻し,持参していた緊急用タオルで脱出に成功したのであった.
怒りの感情が爆発するかと思われたが,朝の集合は8:00で,フロントにクレームをつけている時間がない,といういいわけが爆発を思いとどまらせた.超多忙な一日が始まり,やがて朝の出来事は私の記憶から薄れていった.

あの忌まわしい朝から一日後,メロディホテルでの朝食のとき,I氏が私にメロディホテルはすばらしい,と語った.
I氏「実は,初日にホテルに来たとき,疲れてお風呂でねちゃったんですよ.」
V「?」
I氏「それで,はっと気づいたら一面が水浸しでね.ははは.(^o^)」
V「!?」
I氏「もう拭いてもぜんぜん追いつかないぐらいだったよ.で,ホテルからクレームがくるかとおもってドキドキして待ってたけど,どこからも来ない.きっと,造りがしっかりしてるんだね.イスラエルのホテルは.(^o^)」
V「(-_-;) 」

.......それにしても,怒りにまかせてフロントに怒鳴り込んで行かなくてよかった.捕らえてみれば我が子なり..になるところであった.(-_-;)

最後に

仕事でいったから,自由時間は一日しかなかった.しかもその一日は雨.死海も行けず!ま,もう一回は必ずいきまっせ!